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そうだ 訪看、行こう。

 

令和の今の時代だからこそ看護の原点回帰が求められています。利用者さん一人ひとりの「心に寄り添う在宅支援」をやりませんか?

 

そうだ 訪看、行こう。

 

私たちと共に、地域を支えていきたい熱き想いのある仲間を募っています。当事業所には心の底から看護が大好きな看護師がいます。

 

 

⇩看護の原点回帰についてChatGPTに聞いてみました⇩

 

「近年、看護業務が医療的処置に重点を置く傾向が強まり、身体ケアや環境整備といった基本的な看護活動が軽視されることがあります。この変化は、看護師の役割が単に医療行為を行うだけでなく、患者の全体的なケアを提供することにあるという原則を忘れがちにします。

 

身体ケアや環境整備は、患者の快適さや精神的な安心感を高める重要な要素です。これらの業務を疎かにすることで、看護観や患者との信頼関係が育ちにくくなり、看護師自身もその役割を実感しにくくなります。

 

 看護師が全体的なケアを重視し、身体的なケアや環境整備を通じて患者と向き合うことで、看護の本質がより明確になり、質の高いケアが実現できるのではないでしょうか。原点に立ち返り、看護の広い視野を持つことが重要です。」

 

⇧看護の原点回帰についてまとめてくれました⇧

 

 

ここからは訪問看護に携わる10年目の訪問看護師のコメントを掲載します

 

医療サービス、介護サービスが地域に定着する前、地域の住民は家で生まれて家で亡くなる事が当たり前に行われていました。三世代同居や四世代同居により各家庭内で生活を支え合っていました。時代は移り変わり核家族化が広まった事で各家庭内だけでは生活が回らなくなってきました。医療の発展もあり人は病院で生まれ病院で亡くなる選択肢を選べるようになりました。今までは「家で最期を迎える」と言う概念が現在は「どこで最期を迎えるのか」を考える時代となっています。

 

地域で生まれ地域で暮らし地域で最期を迎える事の意味や価値が変わってきているように感じます。私は核家族の家庭で育ったため高齢者の加齢体験にあまり触れてこなかったと思います。今から20~30年前でしたが祖父母の最期は病院で迎えましたので訪問看護師になるまでは自宅での看取りを経験した事がありませんでした。

 

自宅で亡くなる事を想像できますか? 昨今では病院だけではなく介護施設での看取りも増えてきています。自宅での看取り経験をしていない人が増えているので最期を自宅に選ぶ人や支える人もまた減少しています。医療従事者や介護従事者は人が亡くなる事を理解していても自宅で最期を迎える事を知らない従事者も少なくないのが実情です。

 

在宅看取りの現況は、2018年「人生の最終段階における医療に関する意識調査」によると、7割の方が人生の最期は、「住み慣れた自宅」を希望しています。しかし、2021年人口動態調査では、実際に自宅で亡くなる方の割合は17%であり、66%の方は病院で亡くなっており、希望と現実に大きなギャップのあることがわかります。

 

私の独断と偏見かも知れませんが「最期まで自宅で生きる」事を支援できる人が減っていること、死生観の価値観が変わってきている事などが関係していることも見逃せない事実であると考えています。多様性により色んな価値観がありますが「在宅」を選択できるかは本人・家族だけではなくサービス提供者の死生観や価値観も大きく関与すると思っています。

 

地域で最期まで生きる意味を知っていると病院での看護観や価値観も変わると思います。もしかすると利用者さんの家族、親族まで死生観や価値観が変わる可能性もあり得ます。「在宅」が最善と言う意味ではなく私が伝えたい事は「地域で生きる」と言う「死生観」の存在です。病院には病院の、施設には施設の、在宅には在宅の「生き方」「活き方」「逝き方」があると思いますが、人としての原点は「家で生まれ家で最期を迎える」事だと思います。人としての原点回帰に興味があるようでしたら「訪問看護師という生き方」を選択肢にしても良いかも知れません。