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訪問看護をしていると、哲学に近づいていく

病棟で働いていた頃、看護は「治療を支えるもの」だと思っていました。

 

症状を観察し、異常を早く見つけ、安全に治療が受けられるように支援する。そこには根拠があり、優先順位があり、再現性があります。

 

ナイチンゲールは「看護は科学であり芸術である」と言いましたが、当時の私は、その意味を病棟看護の中で理解していたように思います。

 

しかし、訪問看護に来てから、少しずつ感覚が変わっていきました。

 

在宅では、「正しいこと」が、そのまま正解になるとは限りません。

 

転倒リスクがあっても、自分で歩きたい人がいます。塩分制限が必要でも、家族と同じ味噌汁を飲みたい人がいます。安全を優先すれば安心とは限らず、危険を減らせば幸せになるとも限りません。

 

そこには、その人が積み重ねてきた人生があります。

 

訪問看護師は、疾患や症状だけでなく、その人の価値観や人生観にも触れていきます。

 

どう生きたいのか。

何を大切にしたいのか。

どこまで自分で決めたいのか。

誰と過ごしたいのか。

何を残したいのか。

 

それらに向き合っていると、看護は単なる医療技術ではなく、「人が生きること」を考える営みなのだと感じるようになりました。

 

だから、訪問看護はどこか哲学に近いのだと思います。

 

もちろん、哲学といっても難しい話ではありません。

 

「今日は少し外に出たい」

「最期まで家にいたい」

「迷惑をかけたくない」

「ありがとうと言いたい」

 

そういう、生活の中にある小さな願いや想いに触れ続けることです。

 

そして面白いのは、看護には“誰にでもある部分”があることです。

 

医療行為としての看護は、資格を持った看護師にしかできません。

 

けれど、

 

誰かを気にかけること。

そばにいること。

相手の痛みに悩むこと。

一緒に考えること。

安心できる存在になること。

 

それは、家族にも、友人にも、地域にも存在しています。

 

訪問看護をしていると、「支える」とは何かを、利用者さんやご家族から逆に教えてもらうことがあります。

 

強さだけでは生きられない。

正しさだけでも支えられない。

誰か一人では成り立たない。

 

在宅には、その現実があります。

 

だからこそ、人は支え合いながら暮らしているのだと思います。

 

訪問看護をしていると、答えのない問いに出会い続けます。

 

自立とは何か。

幸せとは何か。

その人らしさとは何か。

 

その問いに、明確な正解はありません。

 

けれど、考えることをやめずに、その人と向き合い続けること。

 

それ自体が、看護なのかもしれません。

 

そして私は今、訪問看護を通して、少しずつ哲学に近づいているような気がしています。

 

 

 

 <関連記事>

 

訪問看護は、単に医療を届ける仕事ではありません。

 

利用者さん一人ひとりの「どう生きたいか」に向き合い、その人らしい暮らしを一緒に考えていく仕事です。

 

今回の記事を読んで、「看護とは何か」「支えるとは何か」を改めて考えた方は、こちらの記事も合わせて御覧ください。

 

「そうだ 訪看、行こう。」

在宅看護から見える“看護の原点回帰”について綴っています。

 

「人は二度死ぬ?」

死生観や“人が記憶の中で生き続ける意味”について考察しています。

 

「代表の看護への想い」

私たちが大切にしている「心に寄り添う看護」についてお伝えしています。

 

「置かれた場所で咲きなさい」

病棟看護師と訪問看護師、それぞれの「置かれた場所」で咲くという意味を考えます。

 

「生活の場をグラフ化してみた」

病院・施設・緩和ケア・在宅、それぞれの役割と価値観について独自視点で整理しています。

 

「看護学習覚え書」

“看護学習の本質”をテーマに、看護観や臨床との繋がりを発信しています。

 

 

 

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