便利になるほど、失っていたもの

便利になることで、失われていくものがあります。

 

子どもの頃、電卓を使うようになると暗算をしなくなり、スマートフォンが普及すると、自分で考える時間が減っていく。

 

便利になること自体は悪いことではありません。

 

しかし、「便利になることで、何を失うのか」を理解しながら取り入れることは、とても大切なことのように思います。

 

これは在宅療養の現場でも、同じことを感じる場面があります。

 


介護ベッド導入で生活は楽になった

ある利用者さんは、長年、床に布団を敷いて生活されていました。

 

しかし、加齢や筋力低下、ADL低下により、床からの立ち上がりが徐々に大変になってきていました。

 

当初は、看護リハビリとして、階段昇降や屋外歩行も行っていました。

 

ですが年月が経過する中で、活動範囲は少しずつ狭くなり、リハビリ内容も室内中心へ変化していきました。

 

そして最終的に、生活を少しでも楽にするため、介護ベッドを導入することになりました。

 

介護ベッド導入によって、起き上がりや移動は以前より楽になりました。

 

生活は確かに良くなっていたと思います。

 

転倒より気になったこと

 ある日、その利用者さんがトイレから滑り落ちてしまったことがありました。

 

大きな怪我はありませんでした。

 

しかし、その後、床から自力で立ち上がることができませんでした。

 

その時に強く感じたのは、

 

「転倒したこと」より、

 

“戻れなくなっていたこと”

 

でした。

 

以前の生活では、床から立ち上がる動作を日常的に行っていました。

 

ですが、介護ベッド中心の生活へ変わったことで、床から立ち上がる機会そのものが減っていたのです。

 

生活を良くするために導入した介護ベッドでしたが、その一方で、残っていた身体機能や予備能力を少しずつ使わなくなっていたのかもしれません。

 

便利さの中で、何を残していくのか

もちろん、介護ベッド導入が悪かったわけではありません。

 

実際に、生活負担は軽減され、必要な支援だったと思います。

 

ただ、その時に感じたのは、

 

「便利になるほど、失っていくものもある」

 

ということでした。

 

在宅療養では、

 

・安全性

・負担軽減

・快適さ

 

はとても大切です。

 

しかしその一方で、

 

・立ち上がる

・歩く

・身体を支える

 

といった、「使うことで保たれている力」があります。

 

だからこそ、便利なものを取り入れる時ほど、

 

“何を失う可能性があるのか”

 

を考えながら関わる必要があるのだと思います。

 

 

「できる」を残していく視点

 介護ベッドを導入したなら、

 

「床から立ち上がる必要がなくなった」

 

で終わるのではなく、

 

「では、どうやって立ち上がる力を残していくか」

 

まで考える必要があるのかもしれません。

 

それは、訓練としてのリハビリだけではなく、

 

・生活の中で身体を使うこと

・自分で動く機会を残すこと

・小さな動作を続けること

 

にも繋がっています。

 

在宅療養では、「便利にすること」と「機能を残すこと」が、時に両立しないことがあります。

 

だからこそ、その人にとって何を大切にするのかを、考え続けることが必要なのだと思います。

 

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在宅療養では、「楽になること」が、そのまま「良いこと」とは限らない場面があります。

便利さの中で、何を残していくのか。

現場で関わる中で、考えさせられた出来事でした。