人生の終盤になった時、人は何を残したいと思うのでしょうか。
在宅療養の現場で出会った、ある利用者さんの言葉を今でも忘れることができません。
その利用者さんは高齢になった今も、事業のオーナーとして働き続けていました。
お子さんが二人いましたが、事業を継いでもらうことを強く望んでいたわけではありません。
けれど、自分が築いてきたものを何らかの形で残したいという想いは持っていたように思います。
年齢的にも、体力的にも、残された時間は決して多くありませんでした。
ご家族は現実的にタイムリミットを感じていました。
けれど利用者さんは最後まで諦めていませんでした。
人生をかけて続けてきた事業の中で、最後に成し遂げたいプロジェクトがあったのです。
ある日、その利用者さんがぽつりと話してくださいました。
「私が生きてきた証を残したいの」
「集大成なの」
その言葉を聞いた瞬間、私は言葉を失いました。
事業の話をしているようでいて、もっと大きな人生の話をしているように感じたからです。
生きる意味。
生まれてきた意味。
死んでいく意味。
答えのない問いですが、その言葉にはその方の人生そのものが詰まっているように思えました。
私は、その方の魂に触れたような感覚になりました。
結果として、そのプロジェクトは運命のいたずらのような出来事に見舞われ、叶うことはありませんでした。
けれど不思議なことに、私はその利用者さんが輝いて見えました。
当時は理由が分かりませんでした。
なぜ叶わなかったのに輝いて見えるのだろう。
なぜこんなにも強く印象に残るのだろう。
そんなことを考えていました。
あれから時間が経ちました。
訪問看護を続ける中で、利用者さんやご家族からたくさんのことを教わりました。
看護について考え続ける中で、自分自身も少しずつ変わっていきました。
そして今、ホームページを作りながら気づいたことがあります。
私はいつの間にか、自分自身の集大成を作ろうとしていたのかもしれないということです。
採用サイトを作ろうとしていたはずでした。
けれど気づけば、
訪問看護という働き方。
在宅療養の現場から。
訪問看護の好きなところ。
看護学習覚え書。
そんなページを作りながら、利用者さんやご家族との出会いの中で教わったことを残そうとしていました。
当時の私は、なぜその利用者さんが輝いて見えるのか分かりませんでした。
けれど今なら少し分かる気がします。
その方は人生の終盤で、自分が大切にしてきたものを残そうとしていたのだと思います。
そして私は、その姿から大切なことを教わっていました。
人は結果だけで輝くわけではない。
最後まで自分が大切だと思うものを残そうとする姿そのものが、人を輝かせることがあるのだと。
「私が生きてきた証を残したい」
あの日聞いた言葉は、何年もの時間を経て、今になって私自身へ返ってきたように感じています。