in 2026

看護コンパス誓詞
in 2026 · 2026/07/20
訪問看護を続ける中で、利用者さんやご家族から教わったことがあります。正しい答えを示すのではなく、その人の中にあるコンパスを信じること。11年間の訪問看護で見つけた価値観を「看護コンパス誓詞」としてまとめました。

理解しようとすること - ナイチンゲールの言葉から考えたこと -
in 2026 · 2026/07/13
訪問看護を続ける中で、何度も読み返しているナイチンゲールの言葉があります。「自分自身ではけっして感じたことのない他人の感情のただなかへ自己を投入する能力」。理解することの難しさと、それでも理解しようとすることの意味について考えました。

病棟看護と訪問看護の「寄り添い」は、なぜズレるのか
in 2026 · 2026/07/06
病棟看護と訪問看護では、「寄り添う」の意味が大きく異なります。病棟では治療と安全を優先し、患者を支え導く関わりが求められます。一方、訪問看護の現場は患者の生活の場。医療者は後から入る存在であり、その人の価値観や選択を前提に関わる必要があります。病棟の感覚のまま正しさを伝えようとすると、生活を否定してしまうことも少なくありません。訪問看護における寄り添いとは「説得」ではなく「納得」。医療が生活にどう関わるかを、一緒に探し続ける姿勢です。その違いを知ることが、訪問看護の第一歩になります。

咲きそうな場所に、種をまきなさい
in 2026 · 2026/07/02
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉から考えた、もう一つの生き方。訪問看護の現場で感じた「咲きそうな場所に種をまくこと」の大切さについて綴ります。

看護師キャリアパス と 看護キャリアコンパス
in 2026 · 2026/06/18
看護クリニカルラダーやキャリアパスは、看護師の成長を支える大切な仕組みです。しかし人生や働き方は一つではありません。なぜ私が「看護キャリアコンパス」という言葉を使うようになったのか、その背景にある考え方をお伝えします。

看護キャリアコンパス - 答えではなく、方向を探すために -
in 2026 · 2026/06/16
看護には正解のない場面があります。だからこそ必要なのは地図ではなくコンパスなのかもしれません。看護キャリアコンパスを作った理由と、その背景にある看護観についてお話しします。

リハビリの向こう側 - 人生をまとめるための時間 -
in 2026 · 2026/06/13
在宅か施設か。人生の大きな選択を前にした時、本人や家族には「考える時間」が必要です。訪問看護の現場で出会った利用者さんから、私はリハビリには機能回復だけではない価値があることを教わりました。それは、人生と向き合い、納得して次の選択へ進むための時間をつくること。リハビリ職と訪問看護師、それぞれ役割は違っても向かう方向は同じです。人生を振り返り、自分らしい答えを見つけるための時間について考えます。

リアルSNSからリアルChatGPTへ ~ 訪問看護師というインターフェース ~
in 2026 · 2026/06/06
訪問看護を続ける中で、以前は「リアルSNS」という言葉で、利用者さん同士の経験や知恵をつなぐ役割を表現していました。そして最近は、その集合知を整理し、その人自身の気づきにつなげる「リアルChatGPT」という視点を持つようになりました。訪問看護師は、人と人をつなぎ、人と自分自身をつなぐ存在なのかもしれません。利用者さんとの関わりの中で見えてきた、支援のあり方について考えたコラムです。

1%の可能性に、看護は何ができるのか
in 2026 · 2026/06/01
認知症の進行により、排泄や日常生活が難しくなり、施設入所を考え始めた母と娘。 「これ以上できることはない」と諦められがちな状況の中で、訪問看護は何ができるのか。 治療ではなく、その人の“今”を看る視点に立ち、環境調整や家族との関わりを重ねていくことで、見方は少しずつ変わっていきました。 0%だと思われていた場所に、1%の可能性を見つける看護。その実践から、訪問看護が大切にしている想いを綴っています。

訪問看護をしていると、哲学に近づいていく
in 2026 · 2026/05/19
病棟看護では、治療を安全に支えることが中心でした。しかし訪問看護に来てから、「正しいこと」が必ずしもその人の幸せにつながる訳ではないと感じるようになりました。 在宅では、その人の価値観や人生観に触れながら、「どう生きたいか」を一緒に考え続けます。強さだけでは生きられない。正しさだけでも支えられない。訪問看護をしていると、看護とは“人が生きること”を考える営みであり、どこか哲学に近いものだと感じています。

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