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困りごとを解決する看護師から、困りごとを理解する看護師へ

困りごとを解決する看護師から、困りごとを理解する看護師へ

 

訪問看護を始めた頃の私は、利用者さんの困りごとを解決したいと思っていました。

 

薬が飲めないなら飲めるようにしたい。

 

リハビリをしないなら続けられるようにしたい。

 

不安が強いなら不安を減らしたい。

 

認知症による混乱があるなら落ち着いて過ごせるようにしたい。

 

看護師として、それが当然の役割だと思っていたのです。

 

もちろん今でも、その考えは間違っていないと思います。

 

困りごとを軽くすること。

苦痛を和らげること。

生活しやすくすること。

 

それは看護の大切な役割です。

 

しかし、訪問看護を続ける中で、少しずつ気付くことがありました。

 

 

薬が飲めなくなることもある。

 

身体機能が低下することもある。

 

認知症が進行することもある。

 

不安が消えないこともある。

 

どれだけ関わっても、避けられないことがあります。

 

病院であれば、治療やリハビリによって改善を目指すことができます。

 

けれど在宅は生活の場です。

 

病気だけでなく、その人の人生があります。

 

価値観があります。

 

家族との関係があります。

 

そして、「こうしたい」という本人の想いがあります。

 

そのため、正しい方法が必ずしも選ばれるとは限りません。

 

時には、医療者から見れば非効率な選択や、リスクのある選択が選ばれることもあります。

 

 

そんな場面に何度も出会う中で、私の問いは少しずつ変わっていきました。

 

「どうすれば解決できるだろう」

 

から、

 

「この人は、何を大切にしているのだろう」

 

へ。

 

さらに、

 

「この人は、この困りごとと、どう付き合っているのだろう」

 

へ。

 

変わっていったのです。

 

 

例えば、薬が飲めない利用者さん。

 

以前の私は、飲める方法を探していました。

 

一包化にする。

 

服薬カレンダーを使う。

 

家族に協力してもらう。

 

もちろん、それも大切です。

 

けれど実際には、薬が飲めない背景に、

 

「管理されるのが嫌だった」

 

「自分でやれていたという自信を失いたくなかった」

 

という想いが隠れていることがあります。

 

その時に必要なのは、服薬管理の技術だけではありません。

 

その人が何を失おうとしているのかを理解することでした。

 

 

リハビリも同じです。

 

「歩きましょう」

 

と言っても動けなかった方が、

 

好きなレモンティーを飲みに行くためなら歩けることがあります。

 

そこに必要だったのは、

 

リハビリを頑張ってもらうことではなく、

 

その人が動きたくなる理由を理解することでした。

 

 

訪問看護を続ける中で感じるのは、

 

人は問題だけで生きているわけではないということです。

 

病気があっても暮らしています。

 

不安があっても笑います。

 

認知症があっても大切なものがあります。

 

困りごとを抱えながら、その人なりに毎日を生きています。

 

だから私たちは、

 

困りごとだけを見ていてはいけないのかもしれません。

 

 

最近、ホームページの「在宅療養のお困りごと」シリーズを増やそうとしていて、ふと気付いたことがあります。

 

以前なら次々と思い付いていた困りごとが、なかなか浮かばなかったのです。

 

不思議に思いました。

 

困りごとが無くなったわけではありません。

 

現場には今もたくさんあります。

 

けれど、以前ほど困りごととして見えなくなっていたのです。

 

気付けば私は、

 

「どう解決するか」

 

よりも、

 

「どう付き合っていくか」

 

を考えるようになっていました。

 

 

訪問看護を始めた頃の私は、

 

困りごとを解決する看護師になりたいと思っていました。

 

11年目の今の私は、

 

困りごとを理解する看護師でありたいと思っています。

 

解決できることは解決したい。

 

けれど、解決できないこともあります。

 

だからこそ、

 

その人が何に悩み、

 

何を大切にし、

 

どのように暮らそうとしているのかを理解したい。

 

そんなふうに思うようになりました。

 

 

訪問看護は、病気だけを見る仕事ではありません。

 

困りごとだけを見る仕事でもありません。

 

困りごとを抱えながら生きる、その人の人生に触れる仕事です。

 

だから今日も私は、

 

問題を探すより先に、

 

その人を理解することから始めたいと思っています。

 

 

あとがき

 

振り返ってみると、私が繰り返し使ってきた

 

「説得より納得」

 

という言葉も、

 

「ないものを見る看護から、あるものを見る看護へ」

 

という考え方も、

 

すべて同じところに繋がっているように思います。

 

問題をなくすことだけが看護ではない。

 

 

問題と共に生きるその人を理解することも、看護なのだと思うのです。

 

 

 

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