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不謹慎でしょうか?

不謹慎でしょうか?

 

訪問を終えて、自転車にまたがる。

少し古くなったブレーキの感触を確かめながら、ペダルを踏み出します。

 

玄関先で交わした短い会話。

笑った顔と、少し疲れた表情。

「気をつけてね」と掛けられた一言。

 

風を切りながら走り出すと、

胸の奥に、静かな余韻が残ります。

 

「今日も、よかったな」

 

その感覚に気づいた瞬間、 決まって同じ問いが浮かんできます。

 

この仕事が楽しいと感じるのは、不謹慎なのだろうか。

 

看護師は、患者さんや対象者がいなければ成り立たない職種です。

医療や介護に必要な存在ではあるけれど、

看護師を必要とする人が少ない社会の方が、

きっと平穏で、幸せなのだとも思います。

 

だからこそ、

誰かの病気や困難があるから成り立つ仕事を

「好き」「楽しい」と感じている自分に、

どこか引っかかりを覚えていました。

 

 

「楽しい」の正体

 

ここで言う「楽しい」は、

決して誰かの不幸そのものを喜んでいるわけではありません。

 

・その人の生活に触れられること

・関係性が少しずつ育っていくこと

・小さな変化に気づけた瞬間

・「来てくれてよかった」と言われたとき

 

そういう、人として誰かと向き合えている実感が、

私にとっての「楽しい」なのだと思います。

 

苦しみを“材料”にしている感覚ではなく、

困難の中にいる人のそばで、

自分がどう在れるかに意味を見出している感覚。

 

それに気づいたとき、

少しだけ自分を許せるようになりました。

 

 

平穏を願いながら、看護をする

 

本当は、病気や障害が少ない社会の方がいい。

それでも、今この現実の中で、

誰かの暮らしに関わる仕事をしている。

 

この二つは、矛盾しているようで、

実は同時に存在していいものなのだと思います。

 

事件や事故が起きない方がいいと願いながら、

それでも警察官や消防士が誇りを持つように。

病気や障害が少ない社会を願いながら、

医療者が仕事に意味を見出すように。

 

「必要とされてしまう現実」を嘆きながら、

その中で最善を尽くすことに喜びを見出す。

 

それは、不謹慎ではなく、

専門職として成熟していく過程なのかもしれません。

 

 

「楽しい」と感じられる看護師でいること

 

義務感だけで行う看護よりも、

「あなたと関わることが好き」という温度のある看護の方が、

きっと人を支えます。

 

だから私は、

訪問看護が好きで、楽しいと感じる自分を、

これからは否定しすぎないでいようと思います。

 

もし同じように、

この気持ちを抱えたまま言葉にできずにいる看護師さんがいたら、

「それでも大丈夫」と伝えたい。

 

では改めて、問いとして残します。

 

あなたが看護をしていて感じる「楽しい」は、 本当に否定されるべき感情でしょうか。

 

 

 

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