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仕事は作業か、営みか ~ 関係性の中で働くということ ~

仕事が楽しいということ

~ 関係性の中で働くということ ~

 

高齢のご夫婦の利用者さんと、仕事の話になった。

 

ご主人は雇われ大工。

奥さまはうどん屋のパート。

 

お二人とも、口を揃えて言われた。

 

「仕事は楽しかった」

 

決して楽な仕事ではなかったはずだ。

 

体力も使い、気も遣い、時には理不尽もあっただろう。

 

それでも「楽しかった」と言える。

 

なぜだろう、と心に残った。

 

 

最近、「仕事が楽しい」と言う人は少ないように感じる。

 

若い世代はとくに、

仕事は“食い扶持”のため、

生活費を得る手段、

そう捉えているように見えることがある。

 

それが悪いわけではない。

不安定な時代において、まずは生活を守ることが優先になるのは当然だ。

 

けれど、あのご夫婦の「楽しかった」という言葉には、

どこか温度があった。

 

理由を尋ねると、奥さまは笑って言った。

 

「人とわいわいするのが楽しかった」

 

大工は、わいわいする仕事ではないかもしれない。

けれど、同じ現場で、同じ目標に向かい、

家を一軒、皆で建て上げる。

 

そこには、きっと

まとまりと、信頼と、誇りがあったのだろう。

 

 

私は病棟看護師として働いていた頃を思い出した。

 

あの頃、

「楽しい」と言っていた看護師は、どれくらいいただろう。

 

チームで働いていたはずだ。

仲間もいた。

同じ目標もあった。

 

それでも、「楽しい」と感じる余白は少なかった。

 

担当患者さんとは長くて3か月。

3交代勤務で、準夜や深夜は挨拶程度。

日勤帯で関われたとしても、時間は限られている。

 

3か月の付き合いと言っても、

実際の関わりは断続的だった。

 

治療中心の病棟では、

疾患が主役になりやすい。

 

医師の指示に従い、

安全に、正確に、効率よく。

 

それはとても大切なことだ。

けれど、どこかで“作業”に近づいていく感覚もあった。

 

 

訪問看護に変わって、何が違うのか。

 

一番大きいのは、関係性の時間軸だと思う。

 

年単位で関わる利用者さん。

長い方では10年になる。

 

生活の中に入り、

季節を共に過ごし、

家族の変化を見守り、

時に看取りまで寄り添う。

 

関係は、途切れない。

 

治療ではなく、生活が中心にある。

 

正解は一つではない。

医師の指示を実行するだけでなく、

どう関わるかを自分で考える。

 

主体的に関わる。

 

そして何より、

私は訪問看護師である前に、地域生活者である。

 

地域で暮らす一人の人間が、

地域で暮らす一人の人間を訪問する。

 

そこには上下ではなく、

どこかフェアな感覚がある。

 

支えているつもりでも、

実は支えられている瞬間がある。

 

その関係性の中に、

私は楽しさと充実感を感じている。

 

もしかすると、

仕事が楽しいということの本質は、

 

業務内容ではなく、

「誰と、どのくらいの時間をかけて関わるか」

なのかもしれない。

 

人は、

関係が深まるとき、

主体的に選択できるとき、

自分が物語の一部になっていると感じられるとき、

 

仕事を“作業”ではなく“営み”として感じられる。

 

あのご夫婦の言う「楽しかった」は、

賑やかさのことではなく、

 

人と共に時間を積み重ねた実感

だったのではないだろうか。

 

 

看護も、本来はそういう仕事のはずだ。

 

命のそばで、

人生のそばで、

時間を共にする仕事。

 

もし病棟看護が楽しいと感じにくいとしたら、

それは個人の資質の問題ではなく、

関係性が育ちにくい構造の問題かもしれない。

 

仕事を楽しめる人を増やすには、

効率よりも、

管理よりも、

 

「関係を育てられる余白」をどう作るか。

 

そこに鍵があるように思う。

 

そして私は今日も、

地域生活者として、

地域生活者のもとへ向かう。

 

仕事が楽しいと、

静かに思いながら。

 

 

 

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