病棟看護師という固定概念を、そっと手放す
~ 心の白衣を脱ぐということ ~
訪問看護を開業して、11年目になります。
最近、あらためて気づいたことがあります。
看護師の業務は、
保健師助産師看護師法に
「診療の補助」「療養上の世話」と記されています。
病棟にいた頃、この言葉に違和感を持つことはありませんでした。
診療が中心にあり、その流れを支えるのが看護。
それが当たり前でした。
けれど訪問看護に来てから、私は長い間、
言葉にできない小さな違和感を抱えていました。
そしてある日、ふと思ったのです。
在宅では、もしかしたら
「療養の補助」
「診療上の世話」
なのではないか、と。
言葉の順序を入れ替えただけのこと。
けれど、その瞬間に何かがほどけました。
病棟では、「診療」が主語になります。
正確に。
安全に。
迅速に。
医療の質を守ることが、看護の価値でした。
でも在宅では、主語が変わります。
主語は「生活」です。
テレビの音。
湯気の立つ台所。
家族の何気ない会話。
その人の人生の続きの中に、私たちは入っていきます。
医療をどう通すかではなく、
生活の中にどう医療を置くか。
その違いは、想像以上に大きいのです。
私は面接で、病棟から訪問看護へ転職される方に、必ずお伝えしています。
「病棟看護学校と訪問看護学校は、別だと思ってください」と。
それくらい、重心が違います。
病棟で学んできたことは、確かな土台です。
決して否定されるものではありません。
けれど、そのままの物差しでは、在宅は少し窮屈になります。
私はそれを、“心の白衣”と呼んでいます。
病棟で身につけた判断基準。
正確さを最優先にする姿勢。
医療者としての緊張感。
それらは誇るべきものです。
でも在宅では、
その白衣を一枚ずつ、そっと脱いでいく時間が必要です。
転職後しばらくは、
向き合い方に戸惑います。
「これでいいのだろうか」
「何もしていない気がする」
「看護になっているのだろうか」
けれどそれは、力不足なのではありません。
固定概念を手放そうとしている、まさにその途中なのです。
訪問看護は、
看護師が看護を取り戻す場所だと、私は思っています。
そして私たち
さんふらわぁ 訪問看護リハビリステーションは、
その人が太陽のように輝けるように。
その人が「幸せだ」と感じるひとコマをつくることを、
看護の真ん中に置いています。
大きな成果ではなく、
小さな“その人らしさ”を守ること。
その積み重ねが、
その人の人生を照らす光になると信じています。
病棟で身につけた白衣は、捨てるものではありません。
必要なときには、また羽織ればいい。
ただ一度、
そっと脱いでみる。
そこから、もう一つの看護が始まります。
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