病棟で働いていた頃は、
「なぜ悪くなったのか」を考えることが多くありました。
症状の要因や誘因を探し、
状態変化の背景を整理しながら、
治療やケアにつなげていく。
もちろん、とても大切な視点です。
原因を考えることで、再発予防や安全につながることも多くあります。
ただ一方で、
対症療法が中心になる場面では、
「なぜこうなったのか」
を考え続けることが、
時に自分自身を苦しくさせることもありました。
特に、明確な答えが出ないケースでは、
考えても整理しきれない感覚が残り続けることがあります。
気づけば、勤務が終わった後も考えている。
「あの関わりで良かったのか」
「もっと別の方法があったのではないか」
そんなふうに、頭の中で何度も振り返っていました。
訪問看護に来てから、
少しずつ考え方が変わっていきました。
在宅では、もちろん原因を考えることも大切です。
ただ、それ以上に、
「どうすれば今の生活を続けていけるか」
「どうすれば少しでも暮らしやすくなるか」
を考える場面が多くあります。
完全な正解を探すというより、
その人にとって、今より少し良い方向を一緒に探していく感覚です。
同じ「要因を探す」でも、
病棟では、治療や改善につなげるための視点。
在宅では、生活を続けていくための視点。
向いている方向が少し違うのだと感じるようになりました。
どちらが正しいということではありません。
支える目的が違う。
だから、必要になる視点も変わっていくのだと思います。
そして私は、訪問看護で働く中で、
「答えを出さなければならない」
という感覚が、少しずつ変わっていきました。
在宅では、明確な正解がない場面も多くあります。
だからこそ、
「その人にとって何が大切なのか」
「どうすれば続けていけるのか」
を、一緒に考え続けること自体に意味があるのだと感じています。
振り返ると、
働く場所が変わったことで、
技術だけではなく、
看護そのものの見え方が変わっていきました。
病棟で見えていたもの。
在宅で見えるもの。
そのどちらも経験したことで、
看護は一つの形ではなく、
“場所によって変化していくもの”
なのだと感じています。
そして今は、
その変化自体が、看護を続ける面白さの一つなのかもしれないと思っています。
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