優しさを続けるために 訪問看護を始めた頃の私は、「利用者さんのために」という気持ちを強く持っていました。
少しでも力になりたい。
少しでも安心して過ごしていただきたい。
困っていることがあれば何とかしたい。
そんな想いで日々利用者さんのもとへ通っていました。
もちろん、その気持ちは今も変わりません。
けれど、訪問看護を続ける中で、少しずつ考え方が変わってきたことがあります。 それは、自分自身のメンテナンスの大切さです。
ある90代の利用者さんが、こんな話をしてくださいました。 「ある程度、自分が満たされていないと人には優しくなれない」
そして続けて、 「だからこそ、他人に優しくなるために、自分が幸せでいる努力を怠らない」 と話されました。
その時は「なるほど」と思った程度でした。
けれど、その言葉は不思議と心のどこかに残り続けていました。
訪問看護は、人と深く関わる仕事です。 利用者さんの不安に触れ、 ご家族の悩みに耳を傾け、 時には人生の最終段階にも立ち会います。
だからこそ、自分自身に余裕がない時ほど、その影響は表れやすくなります。 疲れている時。 悩みを抱えている時。 心がすり減っている時。 利用者さんの話をゆっくり聞けなかったり、相手の言葉を受け止める余白がなくなったりすることがあります。
技術や知識の問題ではありません。 心の余裕の問題です。 若い頃は、自分を後回しにすることが優しさだと思っていました。
自分が我慢すればいい。 自分が頑張ればいい。 そう考えていた時期もあります。 けれど、それでは長く続きません。 人は機械ではありません。 休息も必要です。 楽しみも必要です。 時には立ち止まる時間も必要です。
私はキリスト教徒ではありませんが、自分のパンをお腹の空いている人に分け与えるという話を思い出すことがあります。
ただ、自分が空腹のままパンを渡し続けていたら、いずれ倒れてしまいます。 倒れてしまえば、目の前の人にパンを渡すこともできなくなります。
だから、自分のためだけではなく、人に渡し続けるためにも、自分の分のパンを残しておく必要があります。
看護の世界には、 「犠牲なき献身こそ真の奉仕である」 という言葉があります。
真偽はともかく、この言葉が長く語り継がれている理由はよく分かる気がします。 自分を犠牲にすることと、人を大切にすることは同じではありません。
むしろ、自分を大切にすることが、人を大切にすることにつながる場合もあります。
訪問看護を続ける中で、私は一つの考え方に辿り着きました。 それは、
「自分も大切に、利用者さんも大切に」
ということです。
利用者さんのために自分を犠牲にするのではなく、 自分だけを優先するのでもなく、 その両方を大切にする。
その方が長く続けられる。
その方が優しくなれる。
その方が良い看護ができる。
そんな気がしています。
90代の利用者さんから教わった言葉は、今も私の中に残っています。
「他人に優しくなるために、自分が幸せでいる努力をする」
優しさは、一瞬なら誰にでもできるのかもしれません。 けれど、優しくあり続けることは簡単ではありません。
だからこそ、自分自身を大切にすることも忘れずにいたいと思います。 それは甘えではなく、優しさを続けるために必要なことなのだと感じています。
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