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ないものを見る看護から、あるものを見る看護へ

訪問看護に転職してしばらくの間、私はずっと辞めたいと思っていました。

 

病棟とは違う環境。

 

正解のない現場。

 

一人で利用者さんのご自宅へ訪問する責任。

 

思うようにいかないことも多く、自分には向いていないのではないかと悩む日々でした。

 

けれど、家族経営ということもあり、簡単に後戻りはできません。

 

いわば片道切符でした。

 

だからこそ、ある時から考え方が変わりました。

 

辞める理由を探すのではなく、辞めない理由を探してみよう。

 

そう思ったのです。

 

 

それまでは、できていないことばかりに目が向いていました。

 

自分に足りない経験。

 

足りない知識。

 

足りない能力。

 

訪問看護の大変さ。

 

うまくいかなかった出来事。

 

気付けば「ないもの」ばかり数えていたように思います。

 

ところが、辞めない理由を探し始めると、少しずつ見える景色が変わっていきました。

 

利用者さんとの何気ない会話。

 

季節の移ろい。

 

人生の先輩から教わる言葉。

 

地域で支え合う人たちとの出会い。

 

大変なことは変わらないはずなのに、不思議と良いことも見えるようになっていったのです。

 

 

そして、この変化は自分自身だけではありませんでした。

 

利用者さんを見る視点も変わっていきました。

 

医療や介護では、どうしても「できないこと」に目が向きます。

 

歩けなくなった。

 

食べられなくなった。

 

薬が飲めなくなった。

 

認知機能が低下した。

 

症状が進行した。

 

もちろん、それらは大切な観察です。

 

けれど、それだけではその人の全ては見えてきません。

 

 

例えば、

 

「最近、薬が飲めなくなってきている」

 

という相談を受けたことがあります。

 

ご家族は険しい表情で、

 

「週に3回も飲めていない」

 

と話されていました。

 

私は少し表現を変えてみました。

 

「週4回は飲めているのですね」

 

すると、その場の空気が少し変わりました。

 

事実は同じです。

 

けれど、見ている場所が違いました。

 

 

在宅療養の現場では、そんなことがたくさんあります。

 

失われた機能を見ることも大切です。

 

しかし、それと同じくらい、

 

残されている機能を見ることも大切です。

 

できなくなったことを見ることも大切です。

 

しかし、それと同じくらい、

 

今もできていることを見ることも大切です。

 

 

振り返ると、私は訪問看護を通して利用者さんから多くのことを学んできました。

 

そして、その学びの原点は、自分自身の見方が変わったことにあったのかもしれません。

 

辞める理由ではなく、辞めない理由を探したこと。

 

ないものではなく、あるものを見るようになったこと。

 

その小さな変化が、看護の見え方そのものを変えてくれました。

 

 

今でも課題や問題はたくさんあります。

 

利用者さんにも、自分自身にも。

 

けれど以前よりも、その中に残されている可能性を探せるようになった気がします。

 

人は誰しも、失うものがあります。

 

けれど同時に、まだ持っているものもあります。

 

利用者さんも。

 

ご家族も。

 

そして私たち支援者も。

 

 

訪問看護を続ける中で、私は少しずつ、

 

「ないものを見る看護」から

 

「あるものを見る看護」へ

 

変わってきたように思います。

 

もし今、以前の私と同じように苦しんでいる人がいるのなら。

 

その人の中にも、まだ気付いていない「あるもの」が残されているのかもしれません。

 

私はこれからも、その可能性を探し続けたいと思っています。

 

 

 

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