あるSNSを見ていた時、
「生活を支えるのが訪問看護」
という言葉を目にしました。
訪問看護を説明する時によく使われる表現です。
私自身も違和感なく受け止めていました。
けれど、ふと立ち止まって考えました。
「生活」と「暮らし」は同じ意味なのだろうか。
似ているようで、少し違うような気がしたのです。
生活という言葉から思い浮かぶのは、
食事をすること。
眠ること。
着替えること。
お風呂に入ること。
排泄すること。
買い物をすること。
生きていくための日々の営みです。
看護の言葉で表現するなら、ADL(日常生活動作)やIADL(手段的日常生活動作)に近いかもしれません。
一方、暮らしはどうでしょうか。
庭の花に水をあげたい。
毎朝お気に入りのコーヒーを飲みたい。
畑を続けたい。
家族と同じ食卓を囲みたい。
最後まで自宅で過ごしたい。
これらは単なる生活動作ではありません。
その人が大切にしている価値観や人生そのものです。
私は、これを「暮らし」と呼びたいと思います。
訪問看護を続ける中で、病院と在宅では物事の捉え方が少し違うことにも気付きました。
病院では、ADLの改善から考えることが少なくありません。
歩けるようになる
↓
外出できる
↓
生活が豊かになる
もちろん、とても大切な考え方です。
歩く力がつけば、できることは増えます。
一方、在宅では逆から考えることがあります。
以前、リハビリになかなか意欲が向かなかった利用者さんがいました。
ところが、
「好きな喫茶店でレモンティーを飲みに行きたい」
という目標が見つかった途端、少しずつ動き始めました。
レモンティーを飲みに行きたい
↓
外出したい
↓
歩く力を維持しよう
歩くことが目的ではありませんでした。
レモンティーを飲みに行くことが目的だったのです。
病院では、
ADLからQOLへ。
在宅では、
QOLからADLへ。
そんな違いがあるように感じています。
つまり、
暮らしが目的で、
生活はその手段なのです。
私は訪問看護を始めた頃、生活を支えることばかりに目を向けていました。
食事はどうか。
排泄はどうか。
服薬はどうか。
転倒の危険はないか。
もちろん今も大切です。
けれど、訪問看護を続ける中で少しずつ視点が変わりました。
その人は何を大切にしているのか。
どんな人生を歩んできたのか。
どんな毎日を送りたいのか。
そんなことを考えるようになりました。
生活には、ある程度の正解があります。
薬が飲める。
食事が摂れる。
安全に移動できる。
けれど、暮らしには正解がありません。
自宅で過ごしたい人もいれば、施設を選ぶ人もいます。
最後まで家にいたい人もいれば、家族の負担を考えて別の選択をする人もいます。
だからこそ、訪問看護には地図ではなくコンパスが必要なのかもしれません。
その人らしい暮らしの中に、
その人らしい生活があります。
私たちは、その生活を支えることで暮らしを支えています。
そして同時に、その人がどんな暮らしを望んでいるのかを理解することで、本当に必要な生活支援が見えてくるのだと思います。
訪問看護とは、
その人らしい暮らしの中の、その人らしい生活を支える仕事なのかもしれません。
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