障がい施設で訪問看護をしていた時のことです。
ある利用者さんが、
「水が飲みたい」
と話されました。
施設では飲水量が決まっており、1日に飲める量は500mlのペットボトル1本分でした。
コップにすると、およそ2杯分です。
ところがその日、その方は強く希望されました。
「コップ4杯飲みたい」
私は施設のルールを説明しました。
飲み過ぎはよくないこと。
飲める量は決まっていること。
コップ2杯までであること。
けれど、その方は納得していない様子でした。
何度説明しても、
「4杯飲みたい」
という気持ちは変わりません。
私は考えました。
この方は、本当に水の量を求めているのだろうか。
それとも、
「4杯」
という形に意味があるのだろうか。
そこでダメ元で提案してみました。
コップ半分の水を4回に分けて飲んでもらうことにしたのです。
結果として飲む量は変わりません。
コップ2杯分のままです。
けれど、
1杯目。
2杯目。
3杯目。
4杯目。
その方は満足そうな表情を見せ、
「ありがとう」
と言われました。
私も思わず、
「良かったね」
と声をかけました。
この出来事の中で、本当は何にこだわっていたのかは分かりません。
水の量だったのか。
4杯という回数だったのか。
あるいは、
「自分の希望を分かってほしい」
という気持ちだったのかもしれません。
答えは今でも分かりません。
けれど一つだけ分かったことがあります。
人は必ずしも説明で納得するわけではないということです。
正しい説明を重ねても、納得できないことがあります。
反対に、
見方を少し変えるだけで納得できることがあります。
在宅療養の現場では、正解を探すよりも、
「何なら納得できるだろう」
を一緒に探す場面が少なくありません。
説得する看護より、
納得を探す看護。
そんなことを改めて教えていただいた出来事でした。
← 前の投稿 次の投稿 →
過去ブログのリストは こちら
(サイトマップを下にスクロール)
