訪問看護を続ける中で、
「訪問看護の何が楽しいのですか?」
と聞かれることがあります。
正直なところ、長い間うまく答えられませんでした。
利用者さんとの出会いが楽しい。
病院では見られない暮らしに触れられることが楽しい。
そう答えることはできました。
けれど、どこかしっくりきませんでした。
最近になって、ようやく気付いたことがあります。
私は、
「人生がまとまっていく過程を見守ること」
に楽しさを感じているのだと思います。
訪問看護をしていると、利用者さんが少しずつ過去を話してくださることがあります。
若い頃の仕事の話。
家族の話。
失敗したこと。
誇りに思っていること。
今でも心残りになっていること。
最初からまとまって話されるわけではありません。
何気ない会話の中で少しずつ語られ、
時には数か月、数年かけて、その人の人生が見えてくることがあります。
以前の私は不思議に思っていました。
なぜ人は過去を振り返るのだろう。
なぜ昔の話を繰り返すのだろう。
けれど訪問看護を続ける中で、その意味が少しずつ分かるようになりました。
人は人生の終わりに向かうにつれて、
過去を整理し、
意味づけし、
自分なりに人生をまとめていくのかもしれません。
ある利用者さんは、若い頃にロックバンドを組んでいました。
整理中に当時のビデオが見つかり、一緒に鑑賞したことがあります。
画面の中には、生き生きとギターを弾く若き日の姿。
それを見つめる利用者さんの眼も、とても輝いていました。
私はその時、
昔を懐かしんでいるだけではないように感じました。
まるで、若い頃の自分と再会しているようでした。
またある利用者さんは、自伝を出版するほど文章を書くことが好きでした。
私は当時、
なぜそんなに過去を書き残そうとするのだろうと思っていました。
今振り返ると、
その方は人生を整理していたのかもしれません。
訪問看護では、病気や障がいを見るだけではありません。
その人がどんな人生を歩んできたのか。
何を大切にしてきたのか。
何に悩み、何を誇りに思っているのか。
そんな物語にも触れることがあります。
私は以前、
看護を楽しいと思うことに少し後ろめたさを感じていました。
看護は、患者さんや利用者さんがいて初めて成り立つ仕事です。
本来であれば、医療を必要とする人がいない社会の方が良い。
だから看護を楽しいと思うのは不謹慎なのではないか。
そんな気持ちがありました。
けれど今は少し違います。
私が楽しいと感じているのは、
病気そのものではありません。
困りごとそのものでもありません。
利用者さんが、自分の人生を振り返り、
整理し、
納得し、
少しずつまとまっていく過程です。
そして不思議なことに、
その過程は私自身の学びにもなっています。
利用者さんの人生から、
人が何を大切にするのかを教わる。
人がどのように生きるのかを教わる。
そして、自分自身の人生についても考えるようになる。
訪問看護の楽しさとは何だろう。
最近になって思います。
それは、
人生がまとまっていく過程を見守る楽しさ。
そして、
その過程から自分自身も学ばせていただけること。
それが、私が訪問看護を続けている理由の一つなのかもしれません。
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